2002年 10月12日 レトナと・・・・・ | 国際カップルの溝(国際カップルに戻りました!!)

2002年 10月12日 レトナと・・・・・

インドネシア人の元彼女レトナ。

一つ忘れたいけど、もう一生忘れない思い出があるんです。

頑張って書いてみます。

2002年夏、其の時俺はインドネシア・バリ島で某リゾートホテルの日本人客責任者を勤めていました。

其の時お付き合いしていたのが 「レトナ」 です。 彼女はホテル内のブティックっで働いていました。

職場恋愛って奴ですね、ハハハハハハハ

そう、今日は10月12日、愛するレトナの誕生日でです。

2人で仕事のスケジュールを合わせて、この10月12日レトナの誕生日はお休みを取りました。
(俺は結局忙しくて日中働いてて18時まで働いてたかなぁ~)

まぁ、仕事が終わってシャワー浴びて、チョット綺麗に正装してね。エッヘン!!

愛するレトナの為に、色々サプライズを用意しときました・・・・・・・・








クタのメインストリート沿いにある、チョット洒落たイタリアンレストラン・バー。

俺の大好きなレストラン・バー、ココで色々サプライズを用意しておきました。

月の当たる綺麗なテラスの席を用意して、生バンド用意して、ハッピーバースデー歌ってもらって、

でっかいケーキを用意してね・・・・・

楽しかったねぇ~ 忘れられないや。 物凄いキスを沢山してくれたよ(笑)

そして、レストランをでたのが22時半くらいだったかなぁ?? 

実はもう一つサプライズを用意していたんですよ、海辺のカフェ「バラクーダ」って所でネ。

海が目の前で月明かりが海に映って、海から浜辺まで月の道がつながってるような素敵なカフェです。

この海辺にならんでるサマーベッドを無理やり予約してね。(賄賂渡して・・・)

そこでもう一度愛するレトナにお祝いしようと思っててさ・・・・・・・









まぁ イタリアンレストランを22時半にでてしばらくブラブラとクタのメインストリートを散歩です。

その30分後に、忘れられない出来事が起きちゃったんですよ。

忘れたいけど、忘れられない。

キット一生無理でしょう、でも今は自分の中で気持ちの整理がついたので、落ち着いていますけど。












覚えてるかな?? 皆は?? 2002年10月12日のバリ島での出来事を??






















































2002年 10月12日 23時頃、バリ島サリクラブ・テロ爆破事件、死者200人以上。





















































このテロ爆弾の起きた「サリクラブ」、実は僕とレトナが夕食を過ごして、生バンドでハッピーバースデー

歌ってもらったレストラン・バー(マッカローニ)の目の前です。本当に目の前です。

そして「サリクラブ」は僕達スタッフやお客様を連れて遊びに行く、良く利用するナイトクラブです。

丁度レストランをでて200メートル位だったと思います・・・・・・






テロ爆破が起きたのは







余りに大きい爆発音+爆風で体が押されました。

スグにレトナを抱きかばい、なにがなんだかわからない・・・・ 叫び狂う声・・・・

後ろを見返すと、大きな炎の柱が天に向かって伸びていました。

あまりの恐ろしさ、何も考えられずに放心しているレトナ。

とにかく、抱きかかえながら、速攻タクシーを捕まえて、僕らが働くホテルへ戻った。

なにを考えていたかな?? その時の俺は??

:早くホテルに戻らなきゃ

はっきり覚えてないけど・・・ たぶんこんな感じだと思う。

ホテルにつくと、その日はスタッフミーティングで、皆が丁度集まって会議中でした。

俺とレトナは抜け出しです(笑)

とりあえずなにがあったかを説明し、速攻解散。

そのときにはすでにレセプションへ電話の荒らし。

ホテルは1000人以上収容するし、お客も世界中から集まってくるんです。 世界中から電話掛かってきた。

其の日は一睡もせずに、全員でレセプションの電話の対応でした。

この時点では、殆ど何が起こってるか、何が起こったのか解ってなかったと思う。

解ってはいたけど、冷静に考えれてなかったと思う。

レトナと俺はモロその場にいて、爆風を感じ、炎を見て、悲鳴を聞いて、パニックを見てたわけで、

レトナはスッゴク怖かったと思う。 だからレセプションの後ろでモーフを掛けてウトウトしてたね。

翌朝、俺はマネージャーから声がかかり、話をする事に。

「チャオ、病院に行ってうちのホテルから犠牲者が出ていないか確認してこい」

との事でした。

その時は素直に「はい」と2つ返事をしただけ。

自分の義務だとも思っていたし。

これからなにを見に行くのかも、なにを感じるのかも解らないまま、ただ俺は素直に2つ返事をしました。

病院到着。

ソレはもう本当に忘れられない。

一生忘れる事は出来ない映像を自分の脳裏に焼き付けなくてはいけなかった。

















病院は・・・・

死体、死骸の山です。

真っ黒に焼け爛れた、頭のない、足の無い、腕のない・・・・ 

そして何ともいえない臭い。

頭は真っ白です。

ただ、まっすぐ歩くのに精一杯だった。

日本人と思われる死体の前に連れて行かれ、確認。

はっきり言って解りません、焼け焦げてるし・・・ 凝視も出来ません、その犠牲者の名前を聞いても・・・

「違うと思います」

この一言で精一杯。

外に走り出し

吐いた。

泣いた。

腰が抜けた。

目が回った。

















其の後はしばらく、仕事になりませんでした。

へコンで・・・・・

レトナがスッゴク俺を支えてくれたよ、自分も爆風、悲鳴を聞いた人間なのに。

夜も俺はまともに寝れませんでした。

魘されるし、怖くて寝れない、頭の中は悲鳴や死体の映像がず~っとフラッシュバック。

もしあの時、そのままイタリアンレストランに残ってたら??

もし、23時に外に出てたら??

もし、もうチョット近い所にいたら??

考えたら、止まりません。 ドンドン不安になっていくだけでした。

そんな俺をズーット抱きしめてくれてたのはレトナです。

仕事中も必ずブティックから抜け出して、笑顔を俺に届けてくれる。

優しく手を握ってくれる、キスしてくれる。

「あぁ・・・ 俺生きてるじゃん」って。

とにかく、食事も、寝るときも全て俺と一緒にすごし、俺を支えてくれました。

一つ忘れられないレトナの言葉がある。

「私はジャカルタ方面出身でしょ? テロとか色んな事件はよくあるの」

ガツーンってきました←SHAKE HIP風に☆

「チャオは日本人でよかったね」

って言われた。

そしてまた泣いちゃった・・・・ 色んな事が頭のなかを駆け巡り・・・・・ アハハハハ 

あ、この世の中は現実に起きているわけで、生きていかなくてはいけないなと感じました。

でも実際は本当に恐ろしかったです。

なんで18から海外にでてるんだろう?? なんで危ない海外にわざわざ行くの??

なんでテロがあるの? なんで?? なんで?? なんで?? っていっぱいになっちゃった。

色々考えちゃったよ。 カラッポの頭のくせに。 ドッカーン!!!






















こんな事件があったんだ、実は。

こんな思い出がレトナとあるんです。 しかもレトナの誕生日に。

僕はレトナにスッゴイ支えられたんです。

インドネシアという正直貧困な国の1人の女性に、平和ボケをぶちかましてる馬鹿日本人は助けられました。

物が溢れて、アイデンティティーをホボ失った、何不自由のなさそうな国の人間が、

戦争、テロ、宗教の事など考えもしない、程遠い国で生きてる人間が、こんな女性に励まされました。

レトナはキット生と死をちゃんと知ってる人間。

ソレを逃避せずに、生きてる人間です。

今は彼女、彼氏では無いけど、ズーットこの先友達でいたいです。

今レトナは俺の実家に行こうとしてるよね?

 

レトナに会いたい理由、「日本をどう思ったか」それを俺は聞きたいです。

モチロン、ピンク色の可愛いマ〇コも拝みたいけど(笑)














海外の女性との出来事を意味不明でアホでエロエロな記事ばかり書いてますが。

その裏にはスッゴク学ぶ事は沢山あります。

日本の教科書では教えてくれない事を沢山教えてくれてます。

せっかく海外で生きてるんだもん、日本では得られれ無い物を得らなくては、俺はタダの馬鹿です。

海外で生活している意味は無いでしょう。

これからも、色々有るでしょうね。

しっかり胸に刻んで、おいらの宝である、思い出を作り上げて生きよう。


**超超ド級で珍しい、チャオにしては珍しいすぎるホド長い記事です。
    レトナ・レトナでとうとう書いてしまいました。 チョット暗い記事でスンマセン。

    適当にスルーしてくれて結構です。

    チョット、思い出したら、書き始めちゃったんです。 適当にスルーしてくださいね。
    そして始めて見に来てくれた人、スンマセン。 こんな記事書くの始めてですから。
    アホ記事の戻りますよ・・・・ スグに・・・・